英語学習の本質は伝えることにある

   2016/05/30

英語の勉強をはじめるに漠然と日常会話や書店のテキスト、教室に通い学ぶ人が多い。果たしてそれでいくらの人が英語が話せる、使える人に馴れたのか、周りを見渡せば結果は明らかである。

それなら最適な学習法が他に存在するのか、問いを投げたくもなるだろう。断言できる回答ならある。伝達を前提に置く、これを必須とするのだ。手を抜いて不利益をこうむるのが自分であるのなら、学習は自ずと二の次に、後回しにも平静でいられる。仕事に置き換えると、とりたがる態度は選択にすらあがっていないことに気づかされる。

伝えたい、伝わるにはどうしたらよいのか、これで自分の想いは十二分に誤り・受け取り間違うことなく、相手へ届くのか、よくよく相手を思えばこそ、一文、文節、単語、接続詞、前置詞の有無など習わずと課題は見えそれにただ真摯に応えれば、学習と銘打たなくとも行動は意識によるところなく起こされてしまう。

大きな誤りなのだ、必ず英語の学習には英語を使用せねばならぬ目的があるはずである、挫折や諦めは取り掛かる以前の自身の心持ちを見つめることがおろそか、蔑ろにされていることを意識に先ず挙げること、そうすればはじめたり急に辞めたりすることは起きるはずもないのである。

極端に言えば、辞書一冊で事足りる。基礎的な学習を終えている者に限るが、日本が読めるのならばこれから英語に触れる学生にも当てはまる。難しくて読み解けないのでは、短時間で教えられるままにという発想も捨てるべきでしょう。わからないのです、だから考えアプローチを試みる、その繰り返しに解がありそれらしい道が見えてくる。言葉がわからなければさらに国語辞典を引けば済むことです。

労力を要する、達成に結びつかないのはその労力を怠っているから、伝えたいという意志が強固であれ、脆弱であるならばまず学習に向かう姿勢を丹念に見つめなおすべき。相応の理由が見つかるはです。

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